面接に行く為、今日の昼、すいてる普通電車の先頭に座りました。
車掌さんと同じ目で、電車を運転してる気分に浸りたかったのです。

そう、何を隠そう(別に隠してないか)、幼稚園の頃からの夢は、電車の運転手になることでした。
幼稚園の年長のお誕生会の時に書いたカードに、好きな女の子の名前と、大きくなったら何になりたいか、そして手形が押してあるんだけど、そこに、先生が書いたと思われる字で、「しゃしょうさんになりたい」と書き込まれていたのでした。
で、「しゃしょうさんになりたい」などと書き込まれているけど、電車の運転手になりたいと思って先生に言ったはずなのに、変に言葉を変えられていたんでしょうね。幼稚園児に対して、むずかしいこと書くなっちゅうの!(笑)

じゃあ、なればよかったのに?

と、くるでしょうね(笑)。世の中、そんなに簡単にはいかないのです。

ということで高校時代の話になります。

父親のボロクソなひと言によって、大学行きを残念せざるを得ない状況に追い詰められ、すっかりやる気をなくしてしまい、意地でも勉強しないという、強行手段に出たのが高校1年生の幕開けでした。

じゃあ、自分でアルバイトするなり、奨学金制度を利用するなりすれば行けるのではないかと思われる方もおられるでしょうが、家庭の事情って、そんなに簡単にはいかないんですよねー。
それも親に伝えてはみたものの、答えは「NO!」です。

親が行かせてあげられないというのに、子供が自分の力で大学へ行くなんて、かっこ悪いとでも思ったのでしょう。古いタイプの人間の考え方が、時に、人を傷つけることがあったりします。

どちらかというと、小学校の時から成績は上位で、大学なんて行くのは当たり前だと思っていて、行けないなどと考えたことなんかなかったんですよね。だから、親のひと言は想像以上にこたえたもんです。

行けない、行かせてもらえないとわかれば、それはそれはもう、おもいっきり勉強しなかったですね。ほとんどがアカ点でしたよ。親なんてしょっちゅう呼び出されて、ちょっとかわいそうかなーとも思ったこともあったけど、親が言ったことで、大学に行けなくなったということで、とことん意地を貫き通しました。
こういうのを、グレテいたとでもいうんでしょうね(笑)。

でも、3年生の、最後の日本史の追試では、高校生活では初めてテツヤで一生懸命勉強して、ほとんど満点に近い点数を採ってしまったがため、逆に先生の説教を受けたのも、懐かしい思い出ですね。今まで一ケタ点数がほとんどであった日本史だけにね。

「やればデキルやないか〜! 何で今までせんかったんや〜!」

そう言われても、答えられませんでした。

いくら意地で勉強せず反抗していたとは言え、これでも、育ててくれて親には感謝していたのでしょうね。「親の言ったひと言で、やる気をなくしたからやらなかった。」など、言えなかったもんね。

で、話は最初に戻るんだけど、それなら小さい頃の夢であった、しゃしょうさんになること、つまり、電車の運転手になろうと、関西では大手の私鉄である、「南○電鉄」に就職を希望するも、成績上位者を優先するが為、校内選考の1名に選ばれることもなく夢は簡単に散ってしまったのでした。
それなら、高校のレベルを下げて、そっちで成績上位を採っていた方が、結果的によかったということです。

実際、そっちの方の高校に行ってた彼は、電車の運転手こそしていないけど、その「南○電鉄」に入社していたのです。

校内選考が1名だなんて、わかっていれば……。
大学にも行けないし、電車の運転手になるための会社にさえ、受けさせてもくれないし……。
世の中の矛盾を知ったのも、この時が最初ではないでしょうか。(おそ)

さて、今親になってる人も、子供の夢を打ち砕くことだってあることを頭において、マジメに子育てをしてほしいものです。
(子供もいないくせに偉そうに言ってら〜!(笑))

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