昨日の話(続き)

さて、オフ会の顔出しが終わり、電車に乗って駅を乗り越しながらも、何とか乗り継いで病院にたどり着くことが出来ました。

でも、その石○生○病院に着いたはいいんだけど、病院の受付で、入院してるその人の名前を聞いてみても、「そういう人はいませんねー。」などと言う答えが返ってくるんですね。
まあ、事情があり、名前が変わってることがあったので、いろいろな苗字も言ってみたんだけど、一向に「いませんねー。」の一点張り。

さすがに何かやばいかなーと思い、その入院してるはずの親戚の人の娘さんである、例の22才のいとこの女の子に聞いてみると、「いてるはずやけど、部屋の番号知らんなー……」だと。

オイオイ、実の娘が知らんのかえ〜〜〜っ!

で、入院してるであろう親戚の人の姉に当たる人が知ってるということを聞き、電話番号を教えてもらい、ようやくその病院にいることの確認を取り、部屋番号もわかったのでした。
でも、受付でのPCからは、その名前が出てこなかったのは謎なんだけどね。

とにかく無事に会えることが出来てホッとしました。

で、その入院してる人なんだけど、2月4日の日記に言葉をニゴして書いた事情のある人なんですね。あんまり突っ込んだ話は出来ないと気を遣うつもりだったのに、本人はいたって明るいんですよ。

それというのも、やっぱり宗教の力なんですねー。彼女はもう何も恐れることを知らない人となってました。人ではないのかもね。

家から電車で2時間もかかるこの病院になぜ来たのかという話が始まったんだけど、どうも、輸血をするのは絶対にダメな、とある宗教の信者で、ココの病院はその理解があり、輸血をせずに手術をすることが出来るということで来たということがわかりました。

ホントのことを言えば、去年の夏頃から病気のことはわかっていて、地元の病院に入院していて、輸血を理由に手術を断っていて、ちょっと……ってな感じになってしまったんですね。ところがココを紹介されたことにより、手術をする気になったということでした。

ボクには宗教なんて理解できないんだけど、でも、その宗教を信じることにより救われるなら、それは素晴らしいことなのかもしれません。

夏に手術をせず、病院を替わり、今ごろになって手術をすることになったことにより、親戚一同、かなりきついことも言ってたみたいだけど、やっぱり本人の気持ちが一番なのだということがわかりました。

延々3時間、宗教の演説を聞かせていただきました。

薬のせいで、ホントは寝転んでいないとしんどいはずなのに、その話をしてる時の顔は生き生きしてました。こういうのって感動ですよね。

まあ、ボクには聞くことしか出来なかったんだけど、彼女はそれで満足していました。2月4日に話を聞いた時はショックも受けたりしたけど、人間、考え方ひとつで、楽しく過ごせることを教わりました。

でも、いくら聞いても、宗教は理解できませんねー。
これって、おかしいのでしょうか?

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